こんにちは。 カメラマンからデザインチームへと部署異動をした三好です。
世間でいうアラフォーと呼ばれる部類に属してしまった今日この頃、ようやく自分自身のことが正確に見え始めてきていると感じています。
何に対して生きている実感を得られるのか、奥深くに潜む欲求が満たされる瞬間、どの種類の苦痛であれば耐えられるのかなど、ひっくるめて適正というものを見極めた結果デザインという道に辿り着きました。
部署異動について
異動をしてまず思ったことは、見る角度が変わるだけで会社がまるで違う生き物に見えてくるということに驚きました。
「井の中の蛙大海を知らず」というたとえが正しいかどうかはわかりませんが、日々の業務に追われその慌しさを盾に、自ら心地の良い壁を作り出して生活していたような気がします。
その無意味な壁を壊すことができただけでも異動した価値はあったと思います。
もちろん周囲の方の理解や後押しがあったからこそなのですが。
写真とデザインについて
写真とデザインの少し似ているところを話したいと思います。
フォトグラファーを大きく分けると2種類存在します。ビジネスサイドのフォトグラファーと自己表現の手段としてのフォトグラファーです。
この2種類は全く性質が異なります。そしてデザイナーに関してもやはりアーティストと比較されることがあります。
社会に属している限り、利益に携わる限りはデザイナーもフォトグラファーも純粋な美を追い求めることはできません。自由に飛び回ることはできず、常に制限のある世界で生きています。
当たり前ですが他の職種と同じようにユーザーの視点、客観的視点を最優先に仕事を全うしますが、この世界の住人は美に対して敏感であるがゆえに自分自身の中に絶対の正義を持っています。明確な正解の無い世界では大きくブレないための指針としてこの正義は必要なものですが、そのために常に主観と客観の狭間で葛藤しています。
しかしその葛藤が決してネガティブな意味だけではないことは強く主張したい。
デザインに関しては特に社会という制限の中に放り出され、多くの人の思考を巻き込み、制作者の予測しない方向へ飛んでいき大きく形を変えていく。
そうすることによって1人の人間の内面だけでは生み出されないような強靭な創作物が姿を現すこともあると信じています。
と、偉そうなことを話しましたが私は駆け出しのデザイナーなので実際のところは何もわかっていないのかもしれません。
感性だけでは生きていけないのもデザインの世界。
凄まじい数のツール、まるで深海のように底の見えない情報量。
今はその海を手探りで潜っているような状態です。
ただし、気持ちの良い苦痛ではありますが。
ミリ単位の世界
最後にテキストだけではつまらないので以前私が撮影した写真を掲載します。
普段見慣れている動物をほんの少し角度を変えた視点から切り取り、”creature”としての姿を浮かび上がらせようと意識したものです。
ミリ単位で表現は姿を変える。
そういう意味では、写真もデザインと同じかもしれません。